2013年4月1日月曜日

社会という概念が完全になくなった時、人類は知的生命体として新たなる段階に達する

社会とは広い意味でのコミュニケーション全体の集合である。
コミュニケーションが必要になるのは、各個体の持つ情報がお互いに共有されてないからである。
各個体ごとの情報共有に時間がかからなくなった時に人類は全体として1つの知的生命体になる。
人類全体の生存のために必要な活動の多くが機械等によって自動化されてきている。
機械以外の部分でも自動化、効率化が図られている。
生身の人間が行うのは、そういった機械、システムを動かし続けるだけの補助的な仕事のみになっていく。
高度に発展した社会では、人類全体が生命活動を維持するのに必要な仕事に要求される能力というのは昔のように特別な才能ではなく、すでに過去の偉人によってつくられた、システムを動かすためにどうしても必要となる部分に限られる。
そこでは、個性は必要とされず、決められた動作を一定時間性格にミスなくこなせばよいことになる。
必要なものをつくって必要な場所に届けるという動作に人間活動の多くの部分が割かれる時代は暫くは続いていくだろう。

2013年2月7日木曜日

「終わりなき日常」への反逆

某社会学者のいう終わりなき日常は絶対に許容できない。常に発展し続けなければならない。

2012年9月27日木曜日

究極の効率力

論理的思考の徹底
大元をシステム化し
自動的に無駄を省くシステムを

2012年2月24日金曜日

統合失調症に対する考察

情報が次から次へと湧いてきて、その情報の間の関連性が付けられなくなっている状態。これが、統合失調症お本質ではないか?思考力が働いている、間は、情報を整理して、自分の思う方向へまとめることが出来たり、記憶を引き出すまでの忍耐力を発揮して、
目標がはっきりしないこと、忍耐力が極端に落ちている状態。これが統合失調症の本質ではないか?
 

体制に従順になることで、大人になることは可能だろうか?むしろ大人になるための成長過程を遅らせるのではないか?

大人とはなにか?子供とは何かということを追求していくと、大きな矛盾にぶつかる。
早く大人になることが、十年後大人になることを阻止する、
 子供っぽい人間が、まともな大人になることもある。子供や大人という性質は、もっと根本的な性質が表面的に表れたものにすぎないのではないか?もっと根本的な要素に分解して、その要素について、考えないと、いけないのでは?

また、大切な前提として、理想の子ども、理想の大人というものは現実空間には存在しないことがあげられる。

ゼロベース、芸術ベース、意識すること

勉強の基本は重要な点に半ば強制的に意識を向けることにある。
これに、大きな落とし穴がある。
たとえば、英語の勉強する時に、重要なポイントたとえば、イントネーションなどを意識しすぎた場合、発音問題は完璧に解けるようになったとしても、実際に英語の発音は滅茶苦茶になることがあり得る。人工的に的を絞って、習得するのではなく、ネイティブの発声を完全にコピーすることを目指さなければならない。人工的に細部を意識することは大きなマイナスになるだろう。「何も考えずに」一切の予断を捨て、勉強する必要がある。多くの場合、これとは正反対の方向性の勉強をする羽目になることが多いだろう。

芸術性の追求

芸術性の追求が、優秀さの枠を超える、道しるべになる。