2012年1月24日火曜日

自信がないのは甘え。自信がないのは無能の証であるし、たとえ自信満々であったとしても有能であることの証にはならない。自信があることは、有能である人間になるための必要条件でしかない。それも初歩の初歩の段階での必要条件である

自信がない人間は、自信のある人間の手の平の上で手の平の上で転がし続けるだろう。少なくとも、自信がない人間は、周囲の状況を把握する能力が極めて低いということによるものである。また、たとえ自信があったとしても、それは状況把握能力が高いことを意味しない。単なるバカというか世間知らずである可能性がある。自信のある人間の大半はこのタイプに入るかもしれない。状況を把握して、自分の目的の為に状況をすばやく変えて行ける能力が高く、それを自信の根拠としている人間のみが有能な人間になる資格がある。たとえ、1つの分野に秀でた才能があったとしても、この能力を一定以上もっていないと、思わぬところで足元をすくわれるリスクを常に抱えることになる。
一方で、状況把握能力と行動力が完璧であったとしても、ただちに世界に対し何か意味のある仕事ができるレベルの有能さを持っているという証拠にはならない。なぜならこの能力が正しい方向性で努力をすれば、数年単位で身につく能力であり、一度身につけてしまえば、ほぼルーティーンワークになり、その後の発展は純粋に能力見られないからである。組織の上層部にいる人間がそこまで優秀ではなさそうに見えるのは此処にある。この種の能力をマックスまで上げていれば、跡は運と数十年の積み重ねで、トップクラスの地位を手に入れることができるわけである。だがら、それが純粋に脳の使い方の成長を意味するのではないことは自明である。本当の意味で常に成長し続けるにはいままで越えたことのあるハードルよりもつねに高いハードルを越えようとしなければならない。
もちろんハードルの前で立ち止まってしまうようでは論外である。そういうタイプの人間は死んだ方がマシだとまでは言わないが、人生をどぶに捨ててるように思えるし、極めてもったいないことである。だが、ハードルを越えられない人間にも最低限の人権を与えることは、底辺層のボトムアップをするというだけでなく、トップレベルの人材を育成するためにも重要である。
長期間での成長をさせつづけるには、緊張で張り詰めた状態よりもある程度の余裕をもたせ(緊張状態は長続きしないからである)、たまには、新しいやり方に挑戦する必要がある。失敗したら死ぬという状況を与えるよりも、失敗しても死ぬことはないという安心感を与える方が、結果的には、優秀な人材を生産しやすい土壌が出来るだろう。もちろん怠けてしまってどう仕様もない人間も生まれるかもしれないが、トップレベルの人材育成には、全員を育てるという発想を捨てる必要がある。超ハイレベルな人間が生まれるのは確率でしか語ることができない。ゆえに、その確率を高める、土壌をつくる必要がある。その過程で、どう仕様もなく無能な人間が大量に生まれるリスクがあることには目をつぶらざるを得ない。優秀な人間が育てば、無能な人間がかなり大量に発生したとしても、社会全体で養っていくことは可能である。むしろ、普通の人間しかいない社会の方が、経済基盤としては危うい。別の社会のトップに有能な人間がいた場合、滅ぼされる危険性すらある。

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