2012年2月24日金曜日

統合失調症に対する考察

情報が次から次へと湧いてきて、その情報の間の関連性が付けられなくなっている状態。これが、統合失調症お本質ではないか?思考力が働いている、間は、情報を整理して、自分の思う方向へまとめることが出来たり、記憶を引き出すまでの忍耐力を発揮して、
目標がはっきりしないこと、忍耐力が極端に落ちている状態。これが統合失調症の本質ではないか?
 

体制に従順になることで、大人になることは可能だろうか?むしろ大人になるための成長過程を遅らせるのではないか?

大人とはなにか?子供とは何かということを追求していくと、大きな矛盾にぶつかる。
早く大人になることが、十年後大人になることを阻止する、
 子供っぽい人間が、まともな大人になることもある。子供や大人という性質は、もっと根本的な性質が表面的に表れたものにすぎないのではないか?もっと根本的な要素に分解して、その要素について、考えないと、いけないのでは?

また、大切な前提として、理想の子ども、理想の大人というものは現実空間には存在しないことがあげられる。

ゼロベース、芸術ベース、意識すること

勉強の基本は重要な点に半ば強制的に意識を向けることにある。
これに、大きな落とし穴がある。
たとえば、英語の勉強する時に、重要なポイントたとえば、イントネーションなどを意識しすぎた場合、発音問題は完璧に解けるようになったとしても、実際に英語の発音は滅茶苦茶になることがあり得る。人工的に的を絞って、習得するのではなく、ネイティブの発声を完全にコピーすることを目指さなければならない。人工的に細部を意識することは大きなマイナスになるだろう。「何も考えずに」一切の予断を捨て、勉強する必要がある。多くの場合、これとは正反対の方向性の勉強をする羽目になることが多いだろう。

芸術性の追求

芸術性の追求が、優秀さの枠を超える、道しるべになる。

ハングリー精神の限界

ハングリーであることは必ずしもプラスに働かない。
すぐに手に入る満足に飛びつきがちになってしまうのではないか?
むしろ、徹底して満たされていることが深いことをやるのに重要なのではないか。

すべてのことを経験するわけにはいかない。時間は限られている。

経験をたくさん積むよりも、経験を一般化して、利用する方が重要。

2012年2月17日金曜日

暴力とちから

システムがしっかりとした現代において、暴力をふるうメリットが極めて少なくなってしまっている。ケンカがいくら強くなっても、法律には勝てない。また、頭がよくなれば割と優位に立てる場合も多いが、いくら頭がよくなったところで制度に阻まれることは少なくないので、限界はある。どうしても閉塞感というか不毛感は残り続けるものである。

人間以外に心のよりどころがあると、人間に対して余裕を持って接することが出来る。

人間に依存しすぎるのは危険である。自分の状態が不確定な他人に左右されやすくなるので、不安定な状態になりやすい。心のよりどころとなるものの一つに、人間以外のものを持っているとかなり心強くなる。

企業に勤めている人々はみんなとは言わないが極端に他人のことを悪くいうタイプの人間が多い。

ストレスが高い状態にさらされているからか、とにかく人の悪口しか出てこない連中が多い。人間関係は少ない方が基本的にいい。多くの人間と関わっていると、よほど対人スキルが高くない限り圧倒的なマイナスになる。

なんだかんだいって、金持ちの坊ちゃんは優秀だと言わざるを得ない。

金持ちのボンボンは人間のクズのように言われることが多いが、実際ふたを開けてみると、ずば抜けて優秀な事が多い。いわゆる二世が親の力だけで、上に行くように言われることが多いが、本人に一般人では到底届き得ない能力を持っている事も重要な要素になっている。親が優秀であれば、当然子供はその背中を見て育つ訳だから、究極の英才教育を受けているようなものだし、環境がよいので、能力を上げやすいのと、鬱屈しにくいので、性格がよくなるなど、あらゆる面でいい部分がある。そういうこともあって、金持ちで能力がないやつは本当に救いようがない。

怒りを全て能力に変換できるか

人間の負の感情は基本的に足を引っ張るだけで、プラスにならないが、負の感情自体をいい方向に変えるのは難しい。負の感情を強烈な推進力に変えられるテクニックが欲しい。良い例ではないが、ヒトラーやゲッべルスなどは負の感情を過激な行動力に変えている。また、他人の負の感情をうまく誘導し、利用するという面で、テクニカルな側面では学ぶべきことがある。

恐怖で萎縮させられるのが当たり前だという感覚をいち早く捨てるべき

極端に抑圧されて、萎縮させられる状態だと、確かに、必死に頑張らざるを得ないのだが、それはかなり不健全な状態だと言える。監視がキツイ間は頑張るが、人が見てないところでは、とことんまで怠ける習慣がつく。そして、そういう状態が慢性的に続くと、圧力をかけられても頑張ることはできなくなり、やがて、廃人になる。

2012年2月10日金曜日

決断力の重要性

たいして重要でないことがらについての意思決定速度を
極限まで縮め、ほかの重要な問題に取り組む時間をたくさん残す。
決断しなければならないことがらをできるだけ少なくする

羽生善治さんのすごさ

子供の時に天才だった人間はごろごろいると言えば、言い過ぎかもしれないが、それなりの数いる。だが、そのほとんど、というはほぼ全員はぱっとしない人生を送るか、場合によっては普通以下のレベルに落ちてしまう。
羽生さんは子供の時に天才であっただけでなく、四十を過ぎても最前線を走り続けている。
これは、本当にすごいことなんだろうなと思う。
年齢に応じて柔軟に生き方を変えていくことと、
走るペースを抑えて、自滅しないようにすることが
カギなんだろうと思う。
あとは、好奇心を失わないことだろう。

2012年2月8日水曜日

権威主義から離れ、自分の頭で考えることのむずかしさ

自分の頭で、状況にあわせて的確な判断が出来るようになるには、よほどの運がいいか、頭がいいか、時間が沢山あるかなど、かなりの好条件がそろわないと難しい。多くの人は権威の壁を乗り越えることなく、時間を無駄にし続ける。

追い詰められることは長期的には大きなマイナスになる、slow and steadyが最後に勝つのはガチ

継続することが、何よりも大切。
人格がゆがまないよう程度に努力量を抑えることが生死を分けるくらい大切。
必死こいて頑張って来たのか知らんが、結構偉くなった人でもあらゆる意味で余分な醜態をさらしながら生きている人間は多い。 特に知的なレベルだけ注目すれば特ひどい。どうしてここまで頭が悪くなってしまった。。と残念な気分になることが多い。

ある目的を達成するために、その分野のことをやるのは必ずしも近道ではない。

勉強が出来るようになるために、勉強すること
仕事が出来るようになるために、仕事をすることは必ずしも地下ではない。
大幅に仕事の時間を削って、地頭力が上がる遊びやどうやって仕事をすればよいかを考える時間をつくるべきである。
やり方次第で効率はけた違いになるからである。
勉強時間が半分になっても効率が十倍にできれば、圧倒的に有利である。また、勉強を続けるためには、勉強以外のことができないと不利になる場面が生じてくる。
例えば、生活力や人間関係力は勉強の能力そのものとは関係ない部分も多く含んでいるが、もしそれらの力がなりなければ、勉強をするための環境を著しく悪化させてしまう可能性がある。
極端な場合だと、勉強のしすぎで倒れてしまった場合には、そのあとまったく勉強できない状況で過ごさなければならなくなるわけだから当然大きなマイナスになるのである。
優秀な人間が闇に消えていくことが多いのも納得がいく。

2012年2月7日火曜日

ゲームの有効性

ゲームが得意な人間には頭の回転の速い人間が少なくない。
ゲームをやることを必要以上に悪くとらえる考え方があるが、ゲームにのめりこむことで身につく能力も多い。受験勉強レベルの勉強や、多くの事務的な仕事は、ゲームと比べてもより下位の能力しか使わないものが多いから、ゲームをするだけでも、それらの作業に必要な地頭力を引き上げることが出来るだろう。むしろ、ゲームを有効に生かすようにしていきたい。