2011年11月3日木曜日

ざっと自分の人生を振り返ってみる

人と会ったあと、極端にテンションが上がったり、下がったりする。毎日人とあってると正直全く仕事にならない。
一週間に一度人と会うくらいがバランスとしてはちょうどいい。
子供の頃と、十代の頃に極端に遊ぶことを制限したの歪みがいろんなところに出てきてる。他の人が空気を吸うように当たり前にできることが、必死に頑張っても全くできないという状況が生じるので、社会生活がなりたたない。
最初の違和感は、中学受験直後。受験も終わったし、さあ遊ぶぞという段階になったのだが、学校の同級生と全く、ノリがあわない。こちらとしては、小四以降できなかったことをめいいっぱいやるぞという状況にも関わらず、他の人間は二年間遊んだ上で次の段階に進んでいるわけだから全くどうにもならない。中学に入って周りの精神年齢がガクっと下がったので、中一の頃は割と楽しく過ごせた。だが、中二になってから周りと話すことに困難を感じるようになった。仕方なく、徹底して勉強をするようにした。休み時間とかでも勉強をしていれば人と話さなくてもいいので気楽だった。もちろん勉強をしなきゃという強迫観念的なものもあった。進学校だったのが幸いし、それでもおおきく浮くことはなく、がり勉仲間のようなところにうまく入り込んで、学校ないでの生き残りを図ることが出来た。高校に入って、勉強の中に閉じこもる傾向がさらに過激化。塾に自ら志願しいくようなり、放課後はその予習に当てるようになった。もちろん塾仲間が大量にいて、放課後遊ぶことも多かったので、孤独だったわけではないが、大いに不満があった。だが、できるだけそこに意識を向けにようにしていた。いったん立ち止まってしまえば、二度と前に進めなくなるだろうという予感があったからだ。そして、それは後におおむねあたることになる。
ともかく、高校三年間は時間さえあれば勉強するという姿勢を取るようにした。高校一年の時に一週間期限でビデオを借りたが、 見る暇がなかった。勉強で忙しく、二時間の時間も作れなかったのは今から思うと信じがたい。暇な時間を作らないために勉強するという感じだったので、ほとんど成果は上がらなかった。高二の秋くらいになってようやくかみ合い始める。物理と数学を本格的にやり始めたのが大きい。そして、徹底して深く理解するという方針をとったのが大正解で、自分の実感としておおきく学力が伸びた。このあとの二年間で強靭な思考力の基礎がつくられたように思う。大学の物理や数学の本にも手を出し、大学受験が終わることには自分でも驚くほど伸びていた。だが、小6の夏から高二の夏くらいまで形だけの勉強をしていただけで、ほとんど頭がよくならず、むしろ悪くなっていたので、非常に大きな焦りを感じていた。それをなんとかとりかえそうと、受験が終わったその日から、一日十時間くらい物理と数学をやるという生活が始まる。
その生活を大学一回生のゴールデンウィーク前まで三カ月くらいつづく。この間、ライトノベルと漫画を読むようになった。漫画や小説に病的にはまる性質があり、漫画をよむと漫画のことしか考えられなくなり、生活が崩壊し、学力が崩壊するのは明らかだったので、高校二年、三年の間。徹底した禁欲主義をとる、そレが大当たりしたのか、ともかく大学受験はうまくいった。ところが、大学に受かって勉強が順調に進めば進むほど、一つの壁にぶつかって来た。起きている時間をほぼ完璧に運用し、最大限学力をのばしつづける生活を二年近やっていた状態が続くと、過去における取りこぼしが気になるようになってきた。つまり小6のころから高二の夏までの間、もっと勉強しておけばよかった。という考えが頭の中をもたげてくるようになった。最大限のスピードで一日十時間勉強するという生活を一日も休まずに行っていたので、さらなるのびしろを過去に求めざるを得なくなっていた。今これ以上のばすほうほうが存在しないが、もっと伸ばす必要性を感じていた。こんな状態が続くはずもなく、勉強が出来なくなった後、リアルの生活が完全に崩壊。観念的な世界にさ迷うにようになった。
三回生になって化学に進んだのは、とにかく手を動かして
普段の生活に現実感を取り戻したかったというのはあった。だが、 化学はあまりにもつまらなく、しんどいだけだったので、すぐにいかなくなりより、リアルを放棄する傾向が加速した。このころちょうどニコニコ動画のアカウントを取得。他に居場所を感じることがなかったのもあって、一日八時間くらい動画を見る生活を一年半くらい続けることになった。途中、何とか手を打とうとして、人と会うのに必死になったりインターンにいったり、塾講をしたりした。
結果として、コミュニケーションの試行錯誤はかなりできたが、精神的には極めて不安定な状態になり、勉強をほとんどできなくなった。毎日のように自殺することを考えていたようにおもう。人と会った後の脱力感が半端なく、人とあった日は、徹夜するか十五時間ねるかという極端なことになっていたので、学校にまともに行けない状態がつづいた。 たぶん人と会うことから徹底していれば、この状態は避けられた。そして、それが可能なのは数学系だったと思われる。つまり、数学系の人間以外と高校の時の友人の一部以外とはあわずに、数学とニコ動だけの生活をしていればよかった。その方が精神的にも健康で能力が伸び、その後の人生もうまくいっただろう。このころが決定的な分岐点となる。そのご四回生と院生生活で、少しづつ精神は安定化、視野も広がり、頭も働くようになり、できることが増えてきたが、今度は周りと決定的に乖離するということが起きてきた。自分がもがいている間にもまわりの人間は次のステージへと進んでしまう。ほとんど話の会う人間がいなくなってしまった。昔の反省から、人と無理に会おうとはせずに、一人でいることを徹底して肯定的にとらえざるを得なくなった。一人でできる趣味を極限まで追求することで精神の安定と、人生の幸福をもたらそうとすることにした。ニートになることを覚悟で大学院を放棄、数学をやることにした。数学は一人でひきこもっていることがメリットに働く面が大きいので、あまり自分をおおきく変えずに次のステップに進めるだろうもくろみがあった。なんとか一定の精神の安定を勝ちえたのは親の経済力によるところと自分自身が最低限の頭脳の明晰さを備えていたのが大きい。どちらかがかけていたら、一生鬱屈したまま人生がおわっただろうし、もうとっくに自殺していたかもしれない。経済力信仰と地頭的な意味での能力至上主義に対する信奉は今後さらに過激化するのである。
ひとことでいると自らの金と頭脳は命と人生を救うのである。 今後はさらに能力を伸ばし、効率的に時間の密度を上げようとする行動がもっと極端になっていくだろう。いままでの取りこぼしを全てとりかえそうとするくらいの過激な生き方をしても自我を保てるという確かな自信が今の自分にはある。

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