2011年12月24日土曜日

他人の死を踏み台にしてでも上に行けるか?

結構前に、知り合いが自殺した。知り合いで自殺したのは二人目だ。もう一人はそれなりに仲が良かった。
たいして話こともなく特にショックでもなかったが、
時間がたつにつれてじわじわと影響を与えられている
気がする。
 人生にタイムリミットがあるということをより実感をもって示された形だ。少しでも楽しく、密度の濃い時間を過ごさなければならないという強迫観念がさらに明確なものとなった。百パーセント自由に生きることを追求するのが自分の中で当たり前になった。今日死ぬことからゼロベースでどこまで毎日のクオリティをとことんまで引き上げる。
いつかやるつもりのことを今日からやる、明日からやる。
金は時間の密度を上げるための手段でいかない。
時間の密度を上げるために金を惜しんではならない。

凡人が十年かけてやることを一年でやれ。
それだけで九年長く生きることが出来る。
普通の人が一生かかっても越えられないハードルを二三年単位で越えてやる。
彼らの死を自分の理論武装の為に徹底的に利用させて貰おう。
自分はもっと好き勝手にもっと賢く生きる。

0 件のコメント:

コメントを投稿