2011年12月28日水曜日

自分の中にある理解を育てる

ものごとに対する理解のしかたは人それぞれだ。
よって、たとえ理解すべき物事は全体に共通していても、その共通した理解に達するためのアプローチはひとによって異なっていてもいいはずだ。
仕事が出来る人間という目標に照準を合わせるなら、必要な理解の基準すら人によって異なる。
したがって主観的な立場に立てば、できる限り自分にとって自然なやりかたで理解に到達しようとするべきである。他人がいいとするやりかたに無理やりは手はめようとすると、かえって物事を理解するのが遅れる危険性がある。これは、競争社会においては取り返しのつかないビハインドになっていくだろう。一見過激に見えても、自分のやりかたを貫くことが必要になる場面は多くなってくる。そうしないと、結局のところ、無能力者になって他人の足を引っ張りかねない。社会に貢献するという目的に到達する過程において、徹底的に自己中心になる必要性に迫られる。

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