このブログは知識人(その中でも頭でっかちで結果を出せない人間)に対する強い反発から書かれている部分も大きい。
このブログを書くにあたって知識人が好んで書きそうな文体を一種のパロディして書いているにすぎない。つまりは単なる遊び、あるいは文章というツールを通した演技力の向上のための試行錯誤という側面で書いている。
自分で疑問に思うことでもあえて断言する形で書いたり論理的に大きな誤謬を含んでいてもそれを認識しながらGOサインを出して書いていることがほとんどである。
これは、現実空間において相互作用を起こすための言葉を発する場合とは異なり特定の人物には読まれない、少なくとも読まれることによって自分が何かを得ることを目的にはしていないからだ。(純粋に書くことによって何かが得られると考えられるし、ネット空間上に放出することで、漠然と世界に開かれていることを意識することで文章の内容に一定の緊張感を出し、書くモチベーションを上げること。つまり程良いテンションを保つツールとしてブログがいいと判断したのである。あと、パソコンが壊れてもデーターが失われないという理由、アクセスのしやすさ(WORDを使うよりもブラウザの方が開くのが速く保存するのにかかる手間も少ない。これが文章を書くことの敷居を一気に引き下げる。))
()が長くなってしまったが、普段相手に情報を伝えることを目的として文章を書いたり、会話をしたりするときには、
このブログのように下手に難しい表現を使うことはせず、キャッチーで本質をつく短くて簡単な言葉を選んで、内容も相手のレベルに応じて引き下げる必要に迫られることも多い(というか人と会話する場合ほとんどそうである。(お分かりであろうが、知的能力の差ではなく単に興味が人によって異なるから自分の興味のある分野で相手に興味がない分野であれば会話のレベルが異なるのは当然でありそれは頭の良さとは関係ないだろうという突っ込みを想定しつつそれをあえて無視して文章を書いているという(それでもここで書く)というパラドキシカルな手法を用いることで自分が他の文章でも同じような事を考えて書いているということをここに明示しておく))。(「俗にいう小学生でもわかるように説明しろ」ということである)これは、単位時間に相手に伝わる情報量、質を最大化することが目的である。こちら側が話した量、言い回し、内容のレベルが大切なのではなく、相手にできるだけ多くを伝えるという結果を手に入れることが重要なのである。もっと主観的な立場(自分を中心としたモノの見方)たてば、相手が自分にとって最も都合のよい行動をしてくれるように誘導するために、ほとんどの場合自分の本当に伝えたい内容からは遥かにレベルを落として、あるいは、表現を当たり障りのない(なんの面白味もなく、全く知的能力の本質的に価値のある部分、(俗にいう「深さ」))言葉を選ぶことが重要だということになろう。
結論から言うと、普段はもっと分かりやすく親しみやすい言葉を発しているので、この文章は、筆者の本来のキャラとは異なるということをここに但しがき、というか「本作品は全てフィクションであり、現存する登場人物、団体とは一切関係ありません」的な、あるいは「良い子はマネをしないでね」的な、裏では責任逃れを意図しつつも読者に親切なように装った書き方をしてこのブログの隠れた注意書きという形で残しておこうとするものである。
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