2012年1月22日日曜日

病的に反復することに固執する性質を持っていることが天才の定義であるといってもいい

天才という言葉がよく用いられるが、天才と呼ばれる奴らがそんなにすごいのかは、甚だ疑問である。
天才と呼ばれる人々は、反復することに極端にこだわる性質を持っているように思う。その性質は一般人から見るとものすごく努力しているというように見えるかもしれないが、実は、そうせざるを得ない性質を強く持っているにすぎないのではないか?極論すれば、そうした反復した作業をしている方が「楽」なのであり、そうした反復から外れたことをやることに強い苦痛を覚える。反復することに執着するという性質を持った上で、うまくそれを上達することを考えながら反復することを年単位でしていけば、常人かからすればその分野についてはとんでもない状況に行ける。
天才の構造というのは冷静に分析すれば当たり前の結果でしかないので、普通の人であっても天才のまねはできる、というか、普通の人がある種の少し変わった性質を持っていると天才になってしまう、というのが、天才と呼ばれる人々の本質ではないか?
バットの素振りを千回毎日やるのは周りから見れば、病的な努力に見えるかもしれないが、本人にとっては、振り方を少しずつ工夫するなどして、かなり楽しみながらやっている可能性はある。普通の人から見れば短銃ん作業でも、本人の世界の中では、極めてにゲーム性の高い作業になっているかもしれない。音楽、将棋、学問、芸術、スポーツ、いろいろな分野があるがどれも、広い意味での反復を要求され、その反復を飽きずに常に工夫しながら、より質のよい反復が出来るようになることが、根本的に重要な能力になっている。
普通の人が天才と同じような種類のパーフォーマンスを発揮するのは比較的簡単である。好きなことに固執し、そのことについて病的なくらい反復するのである。ただ反復するだけでなく、常にそこから何かを見出そうとする。すると、抽象化された能力上達の過程を体得することができる。1つの分野を極めた人間が他のことにも才能を発揮することが多い理由もこのあたりに存在する。
反復することに固執。
反復を工夫し、常に上達する。
上達のシステム自体を身につける。
反復する分野が社会的に価値が高い分野であれば天才と呼ばれるし、そうでないにしても、反復を通した上達システムを他の分野に応用できれば、優秀な人材ということになる。
学生時代に部活動が推奨される理由もここにあるかもしれない。
運動や、文化系の活動をしてもプロになるのでなければ社会人になったら何の役にも立たないように見えるかもしれないが、興味のある分野で徹底して反復する中で得られた抽象化された上達システムが全く新しい仕事に対しても応用できるのである。

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