子供の頃は、自分を潰そうとする人間ばかりだった。
そういった人間に潰されないようにするにはどこまでも優秀な人間になるしかなかった。
能力を上げていく過程で、自分を攻撃してきた人間が強力な味方になってくれたこともあったし、
より上のステージに上がることで、
優秀で人間的にも優れた友人と多く深い付き合いをできるようになった。
そのことには感謝しなければならないと思う。
それでも、周りの人間が自分を押し潰した時の記憶は忘れられないし、少しでも自分が無能であったり、隙があれば社会は自分を容赦なく潰しに来るだろうという可能性を排除できない。多かれ少なから日々の日常の多くの時間を潰しに来る外的への対策の為の作戦を練ったり必要な能力を身につけるための訓練に割かれてしまう。
一方で自分の外の存在に対してそこまでの対抗意識を抱かずに自分の好きな事をやって来た人間が、いわゆるエリート層の中にもそれなりにいる。そういう人たちは、往々にして尊敬できるし、能力的にも無駄な戦いにエネルギーを消費しなかった分、高いものを持っている人々が多い。時には天才的な能力を持っている人間もいる。周りにそういう人がいることは素晴らしいことだし、自分もそういう人から色々な事を吸収でき、隣に並んで歩き、その先を歩こうと努力できる権利を持つことができるとしたら(たとえそういった人々に追いつくことが一生できないとしても)それはとても嬉しいことだと思われる。
自分が人間らしい日常を送る権利を得るための戦いの、多くの時間と能力を使ってしまった。
これからは日々を少しでも楽しく生きるために、自分の能力と時間を使っていきたい。
いつの日か自分の中に精神的余裕が出来て人の為に何かが出来る時が来るだろうか?その答えはまだ見えない。
たとえ、自分が持つ問題に答えが出なくても、それが、自分の能力を向上させ、自分の人生をよりよくするものであれば、もっと他人の為になることを積極的に関わっていくべきなのかもしれないな。
全ての準備が出来てから何かを始めるよりも、未完成でもどんどんアウトプットしていけばいいのは割といろいろな事に成り立つし、このことに関しても正しいのかもしれない。
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