男女の差
遺伝的要因。生物学的な発生過程が染色体で決まる。
幼稚園に入るまで、親に付けられう名前、買い与えられる服、おもちゃに違いがあるか?親の気分も男女によって差がある?
ホルモンの分泌が脳や体の発達にある程度の影響を与えるかもしれない。
幼稚園に入ってから。幼稚園では、男女が明確に区別される。
ここで、同年代の人間の意識が男女によって異なる。性別が周りとの関わりに違いを生む。見ているテレビの内容。話題。与えられるおもちゃ。昔話、先生の話などにおける、物語の登場人物の男女による振る舞いの違い。
ドラゴンボール。セーラームーン。それに興味を持つ人々。
小学生。男女によって服装、言葉づかい全てに差が出る。
性欲と、次世代を育てる必要がない。環境が全く同じ。純粋に遺伝だけによる違いしか出ない環境をつくる。果たしてどれくらいの差が出るか?
さらに、投薬によってホルモン分泌の差をなくしてみる。体内にいるときから、ホルモン分泌を統制しなくてはいけない。
これらの要素の比べ法律、学校教育の体制的なシステムが男女の差に与える影響は割合的にはかなり低い。(但し、膨大な量の要素が男女の差異を形作るので割合が極めて少なくても、量的には相当ある。)だから、社会的なシステムの変更で男女の差をなかったことにすることはほぼ不可能だろう。社会の広い意味でのルール、システムを考える上で、重要なのは、巨視的な意味で、男女の差異を所与のものとして考える(先に述べた意味で、男女の差異はさまざまな過程を経て形成されるが、社会のルールをどうすべきかという現象論においてろんじるならば、「男女の差異がある」ということを前提条件として、考えるべきである。)
ジェンダー論を、多くの人間がよりよく生きるという目標に応用する場合には、男性がよりよく生きられ、女性がよりよく生きられるように応用する。
社会学は現象論である。無限濃度の集合から有限個の重要と思われる視点で斬り、有限の視点のあいだでの、論理性を考えるからトンチンカンになる。リアルは無限濃度の集合そのものであるから、因果律(論理が成り立つのは)ミクロな視点だけである。有限の視点での論理展開は、時には無限のミクロの世界(論理が成り立つ)とは無関係に進む。常に、より下の階層に戻って、考え、巨視的な理論に修正を加えていく必要がある。
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