2012年1月4日水曜日

ドラえもんに見られる日常空間に押し込まれてどこにもい開かれない抑圧的な空間に違和感を感じる

昔はドラえもんに夢中になったことがあった。
だが、最近はドラえもんの内容を思い出すと
どこにも辿りつかない雰囲気がある。小学生時代にありがちな、家庭と学校、友人関係、の全てにおいて極端に抑圧される環境にある。特に中学入試がないというのが、かなりきつい。
我々の子供時代、中学入試というのは唯一の開放への希望であった。それの希望に足して全てを捧げるだけの必然性があった。
もちろん、その後の人生においてその希望は全く的外れであった。
まどかマギカを見てあまり面白くなかったのは、作中における希望と、その代償の構造はあまりにもありきたり過ぎて特に見るべきものがないように感じられからだろう。、まいちな現実の中に希望をぶら下げられるとホイホイ「契約」してしまうというのは、あまりにもベタに感じられたからだろうと思う。まどマギに含まれるテーマは、他の同世代の大多数の人間と比べ、自分の中であまりにもはっきりとした形で存在していたので、そういった問題に対する
処理の仕方がわかりやすいかたりで自分の中にできている。まどマギの内容がチャチに思えたのだろう。

0 件のコメント:

コメントを投稿